私が中学生だった頃、中学校では読書の時間と瞑想の時間がありました。
瞑想って言っても5分間だったかな?あれ?10分間かな?
遠い昔過ぎて忘れてしまいました(^_^;)
とにかく、そう長い時間ではない「少しの間」ただ目を閉じて静かに考えましょう。的な時間です。
やる気なんてなくても考えるようになる
その頃はたった5分間、ただ目を瞑っているだけというのもすごく長く感じたものです。特に最初の数週間はそうだったかな。
一般的には、放っておけば「うぉ~」つって校庭を意味なく走るような元気な中学生に「はい。瞑想の時間だ。目を瞑ってー」といってやらせるものなので、本当に最初はただ時間が過ぎるのを待つだけ。苦痛以外の何物でもないのは当たり前です。
何とか耐える為に5分間を数えてみたりしてました。
チラチラ薄目開けてみんなの様子を偵察したり(笑)
でも、そんなことは長続きしません。自然と色々なことを考えるようになります。
読書から瞑想への流れが考えさせる
みんな瞑想してるので教室は静か。やることが他にないですし考え始めます。
読書から瞑想へ
先生方の考えか・・・読書の時間の後に瞑想の時間。
読書でのストーリーを頭に浮かべるようになると、瞑想の5分は大切な「考える時間」になっていきます。
本を選ぶ=考えることが変わる
読書の時間に読もうと選ぶ本によって、瞑想の時間で考えることも変わってきます。
例えば…
推理小説なら、「犯人は誰か、トリックは何か」。
数学の参考書なら、「○○○の解き方」。
スポーツに関する本を読んでいた子はきっと「どうしたら上手くなるか」。
一人投資の本を読んでいた子がいて、なんとなく「すげえやつだ」という評価を植えつけられました。
友人との本の貸し借りが始まり、実は興味のないものをすすめられることも。
それが予想に反してハマってしまうなんてこともありました。
読書から瞑想への流れで「集中してひとつの事を考える」ことを学んだわけですね。
先生の思うつぼです(笑)
考えは見えない。問題を整理する静かな時間になる
選ぶ本は他人の目もあるので悩みとストレートに結びつかないこともあります。タイトルとか見えますからね。でも、「瞑想の時間」に考えることは誰にも見られない。どうしたって考えるのはその時抱えている問題ですよね。
部活のこと。友達のこと。勉強のこと。家族のこと。受験のこと。などなど。
部活の大会が近くなれば、どうして上手くいかないか考えてイメージトレーニングする。
テストが近くなれば、どうして理解できないのか考えてじっくりと考える。どうしたら覚えられるか考える。
そんなことにも瞑想の時間を使ってました。
わからない問題を頭の中で考えるとなぜか瞑想の時間に解き方がわかるという事も意外に多かったです。
普段考えないけど家族に対して「ありがたいことなのかもなぁ」なんて感謝したりもしたでしょう。きっと。
自分の事を良く考える。反省もする時間に
朝練の最中に友達とちょっと口論になったことがありました。
朝練が終わり、読書して瞑想の時間に。やることがなくてその口論の事を思い出してちょっとムカムカ。
でも、5分目を瞑って考えていると少し冷静になります。
「ちょっと言い過ぎたかなぁ」なんて思うのもすぐ。
あとがき
今となって考えれば、この瞑想の時間はかなり有意義だったと思います。「この時間があったからこそ吸収できた。」そう言えるものは多かったでしょう。
考えを整理できたこの「瞑想の時間」は、次の知識・経験のためのスペースを空けるものなのかもしれません。
大人になって、ふと「こんな時間」が少なくなっていることに気づきます。
問題は抱えているけど、静かに考えられていない。
最近は特に頭の中が整理できていないと感じてます。だから今、瞑想の時間を持ってみたいと思います。きっと効果あると思います。